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「私達の幸せな時間」
孔 枝泳(著), 蓮池 薫(翻訳)



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Story

 三回自殺未遂をした、元人気歌手(女性)が、
三人を殺した死刑囚の青年と出会い、二人は恋に落ちる。
 生まれて初めて、二人が心から「生きたい」と願った時、
死刑執行の瞬間が、刻々と迫っていた・・・。


Review

 今回、この本を手に取ったきっかけは、北朝鮮拉致被害者であり、
帰国後の現在は韓国語翻訳者として活躍している蓮池薫さんの自伝的著書、
『半島へ、ふたたび』を読んだことでした。

 蓮池さんが絶賛している小説だけあり、
罪と罰、許しと愛といった、非常に深いテーマが、
女性作家らしい繊細な文章でつづられています。

 中でも、私の心に最も強烈に残っている場面の一つは、
ユンス(死刑囚の青年)に娘を殺された初老の女性が、

「娘を殺した犯人を、許したい。
 正月に餅をついて、刑務所に持って行って、食べさせてやりたい」

と、カトリックのシスター、モニカおばさんに懇願するというエピソードです。


 モニカおばさんとユジョン(主人公の女性)は、
被害者のおばあさんを連れて、お正月の日、ユンスに会いに刑務所へ行きます。

 おばあさんは、ユンスを見つめ、

「おまえを憎んだところで、死んだ娘は帰ってこない。
だったら、おまえを許すことで、少しでもおまえの自責の念を楽にしてやりたい。
 さあ、私が心をこめて焼いた餅だ。食べておくれ。」

と、餅を差し出します。


 しかし、その瞬間。
 押さえていた感情が切れてしまって、彼女は怒りを爆発させてしまいます。


「どうして何の罪もない娘を殺したんだ!?この悪党が・・・!! えぇ!?」


 大声でユンスを罵倒した後、彼女はハッと我に返り、膝をついて泣き崩れてしまいます。
 そんなおばあさんを見ながら、震えるユンス。
 しばらくして、ぽつりぽつりと、おばあさんは、再び話し始めます。


「すまない。許そうと思ってきたのに・・・。
 おまえは優しそうな顔をしている。優しそうな顔をして、
震えているおまえを見ていると、胸が痛む。
 でも、きっとまた来る。本当に心からおまえを許せるまで・・・ずっと来る。
 生きていておくれ。許せる時までは、必ず生きていておくれ・・・。」

 そう言って、おばあさんは去っていく。
 ユンスは泣いて、震えていた・・・。


 ・・・私はこの場面を読んで、とにかく圧倒されました。
 今まで、いろんな宗教家や偉人が「敵を許しなさい」と言ってきたけれど、
それをこんな形で実行に移している、このおばあさんのような人が、
一体どれだけいるのでしょうか?


 おばあさんは、全てを慈しみ包み込めるような、天使ではありませんでした。
 人間だから。完璧な存在じゃないから。
 悟りを開き超然とした、イエス様のような、慈愛に満ちた人に、
結局、なることはできませんでした…。
 
 それでも、イエス様の言葉通り、「敵を許したい」と願い、
自分の中の憎しみや怒りの感情と闘い、克服しようと立ち上がった彼女・・・。
 とてつもなく大きな試練に会っている時、希望を抱いたり、愛の行為を行うことは、
それがどんなに正しいことか分かっていても、とても重く、つらいことだと思います。
 私には、このおばあさんの行為が、とてもとても偉大な行為に思えました。


 そんなおばあさんの勇気には、翻訳者の蓮池薫さん自身の思いも、
重ねられているように感じられます。


 「半島へ、ふたたび」の中で、蓮池さんは語っています。
 北朝鮮に拉致されて、人生で一番素晴らしい青春時代である25年間を、
彼は奪われてしまった。何の罪を犯したわけでもないのに…。
 一体、どんなに絶望し、どんなに怒りを感じたことでしょう。

 「失われた25年間を返せ!!」
 ・・・そう、憤りをぶつけるとしても、
一体、何に感情をぶつければいいのか、それさえも分からない状況の下で・・・。


 しかし、失われてしまったものに対して、憎しみの感情を抱いたまま一生を終えるよりも、
前に進むために、他にやるべきことがあるー。
 どうか、自分自身の幸せのためにも、許せなかった存在に、許しを与えてほしいー。
 だって私達は、幸せになるために生まれてきたんだから・・・。
 ・・・蓮池さんと孔枝泳さんが、私たち読者に伝えたいことは、
そういうことなんだと思います。


 暴力は暴力を。憎悪は憎悪を生むだけ。
 どこかで復讐の連鎖を断ち切るためには、自分が誰かを許すことが必要。
 一生をかけてもいい。敵を許しなさい。
 それが出来た時、人は成長し、より崇高な存在になれる。

 物語の最後に、主人公のユジョンさん自身が、敵を許そうと勇気をふりしぼるという、
もうひとつの忘れられないシーンがあります。
 彼女の決意も、崇高で、美しく、honorable dignityに満ちています。


  
 Memento mori.(死を覚えよ。)

 ・・・高校生の時に聖書の授業で習った、そんなラテン語の格言を、
ふと思い出させられました。

 死に向き合うことは、痛く、悲しく、苦しいけれど、
かけがえのない生きている時間の輝きを、
大切に心に刻みつけるためにも、一瞬一瞬を、心の底から生きたい‐。
 読み終わった後、そんな風に祈ってしまいました。
 どうかこの本を読んだ人が、自分自身の「幸せな時間」とは何であるか、
という問いの答えを見つけ、幸せな時間をすごせますように^^

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2010.05.16 Sun l 未分類 l COM(1) l top ▲

コメント

No title
お話を読んでRITAさんの深さを改めて感じました。ご紹介ありがとう。
「許すのも憎むのも愛」「ことほどさように人の心」なのだと思います・・・。

紹介頂いた聖書の言葉、牧師さんと何人かおつきあいがあり、お話を聞く機会も一般の人間としては多生はあると思いますが、自分ははじめて聞きました。
先祖の墓がある、という理由が主でそこにいることだけで安らぐという変な宗教観の元に仏教の某派の話を少しだけ我流でかじった自分ですが・・・
その開祖の言葉に「先ず臨終を習へ」という言葉があります。
内容的には同語のように思います。
それを習ったときに何が生まれるのでしょう?
自分にはわかりません。
まとまらない文章、失礼。
2010.05.21 Fri l かみ. URL l 編集

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