今回も、最近感銘を受けた三冊の本を紹介したいと思う。
まず、こちらから。
『受けてみたフィンランドの教育』実川 真由著 文藝春秋

高校2年生の一年間を、フィンランドの高校で過ごした
実川真由さんの留学体験ルポ。
最近、フィンランドの教育についての本を数冊ほど読み漁っているが、
中でも面白かったのがこちら。
日本では、私立の名門中高一貫校に通っていた優等生の真由さん。
明るく朗らかで、何事にも挑戦する前向きな性格の彼女が、
フィンランドで高校生活をすごし、ホームステイを体験し、
フィンランドと日本の教育について、高校生にしか書けない視点で
素直な言葉で比較&分析している所が、とてもよかった。
OECDの学力調査で、全ての科目で1位を誇る
フィンランドの子供達。
そのフィンランドの教育が、どうなっているのかというと…
○小学校から大学まで、授業料が無料
○試験は全て記述式(単語穴埋めテストなどあり得ない)
○塾や予備校、受験戦争は、ない。
○留年は恥ではない。分かったふりをして進級する方が恥。
・・・といった事柄は、もう他の本でも読んだ。
彼女の文章の中で、私が一番「キラリと光っている」
と思った個所を、ここで紹介する。
日本の学校教育は、「教」より「育」の比率が
圧倒的に高いように思える。
日本の学校では、学問を教えることがすべてではない。
(中略)成績が優秀で、勉強を教えるのが好きだから
先生になったとしても、日本のように生徒の生活指導まで
全て押しつけられたら、嫌になってしまう人もいるだろう。
日本では、勉強を教えることに関しては満足がいっていても、
それ以外の面で半人前だと、生徒も親も「先生」としての
評価を半人前とみなす。
ところが、教えることに徹する「先生」になれば、
生徒は自然と「先生」に尊敬の目を向けるようになる。
(本文265~266ページ)
・・・すごい。教育評論家ではない学生さんの彼女に、
これほど的を得た鋭い分析ができるなんて。
これは、6年間、高校教師を勤めた私が毎日感じていたことと
全く同じだったのである。
当時私は22歳で教壇に立った。
背も小柄で、童顔の私は(笑)、生徒の中に紛れてしまうと、
外見では教師か生徒なのか、区別もつかない。
世間的に見れば、職員室の中では最年少で、社会人としての経験も浅く、
「一人前の教師」として扱ってもらえなかったとしても、
仕方がないのではないか・・・と思っていた。
ところが、実際にはそうではなかった。
「生活指導や部活の指導は出来ないけれど、
英語の授業だけは、誰にも負けない」
という気合で、工夫を凝らし、自分の全精力を懸けて
授業をしていたら、自分とそんなに歳の変わらないはずの生徒達から
尊敬してもらえるようになったのである。
良い教師のバロメーターは、年齢や経験年数ではない、
ということを学ぶ、絶好の機会になった。
日本の公立学校の先生の仕事は、とても多い。
全ての仕事のうち、「勉強を教える仕事」は30%くらい
ではないか?というのが、私の予測だが、そこまで外れていないと思う。
教師のほとんどは、部活指導や生活指導などといった、
「教える」以外の仕事に追われているのが、日本の学校の現状だろう。
今の若い人の中に「先生になりたい」という夢を持つ人は
少ないのではないだろうか。。。
「先生」の勤務形態の改善を願う。。。
さて、次に紹介するのは、世界中の大ベストセラーである
こちら。(遅ればせながら、初めて読みました。。。)
『人を動かす』カーネギー著 山口博訳 創元社

・・・ハッキリ言うと、ものすごい衝撃を受けました。
以前、松下幸之助さんの『指導者の条件』を読んだ時、
「偉い人が、人生哲学について述べている本。」
「良いこと言ってるけど、例え話が古い。高尚すぎ。私には難しい」
という印象しか持たなかったのですが・・・。
カーネギーさんのこの本は、素晴らしい。
これ、人生でベスト5に入るくらい、必要な本じゃないかしら。
実はまだ半分くらいしか読み終わってないのですが(笑)
あまりにも良い本で、ずしんと心に残る感動が醒めないので
感想文を書き始めています(笑)
人をズバズバ批判して責めたり、公衆の面前で相手の過ちを正すことが、
優秀な人間の証拠だという、勘違いをしている人。
よく見かける気がします。
そんなやり方に、疑問を持っている方々にも、是非この本を読んでほしい!!
かく言う私も、イソップの「北風と太陽」に出てくる
北風のように、力づくで相手の考えを変えようと努力しがちです。
しかし、本来の理想的なコミュニケーションとは、
相手を受け入れ、相手に共感し、友好関係を築いてから、
お互いの違いを認めていくべきなんですよね。
「太陽のように、優しさと包容力で相手を動かしていく」
・・・そんな、この本に書かれている生き方を実践しなければ、
と肝に銘じました。
そして、最後に紹介する一冊は、こちら。
『世界を知る力』 寺島実郎著 PHP新書

カーネギー氏も述べている“agree to disagree”の精神が
こちらの著書でも述べられている。
「ロシアに初の日本語学校が設立されたのは、1705年だった」
という衝撃的な事実から始まり、大中華圏やユニオンジャックの矢
(元イギリス植民地のネットワーク)、ユダヤ民族のネットワーク
などを紹介。
「アメリカというフィルターを通してしか、
世界を見ることができない視点に、疑問を持て」
・・・著者は、読者にそう投げかけているのだ。
「外国へ行き、孤独や屈辱を味わうことは、
国際社会を生き抜くうえでとても大切」
「情報に流されず、自分なりの世界像を構築するには、
古本屋通いとフィールドワークを薦める」
という、著者の実体験に基づいた具体的なアドバイスも良かった。
インターネットや交通手段が発達し、狭くなったはずの世界。
ところが、現代人が本当に「世界を知る力」を持っているか?
というと、答えは「NO」である、と、著者は警笛を鳴らす。
私もそれは、かねてから疑問に思っている。
「国際化」という言葉が頻繁に使われ、海外旅行に行く人が増えたが、
「日本社会って、全然国際化してないじゃない?」
と思うことが多い。
また、ただ語学ができたり、海外生活が長かったりするだけでは、
真の国際人とは言えない、と、最近になって、強く思う。
いろんな意味で、目を開かせてくれる刺激的な一冊だった。
古本屋通いとフィールドワーク。
私も意識して、始めてみようかな。。。
まず、こちらから。
『受けてみたフィンランドの教育』実川 真由著 文藝春秋

高校2年生の一年間を、フィンランドの高校で過ごした
実川真由さんの留学体験ルポ。
最近、フィンランドの教育についての本を数冊ほど読み漁っているが、
中でも面白かったのがこちら。
日本では、私立の名門中高一貫校に通っていた優等生の真由さん。
明るく朗らかで、何事にも挑戦する前向きな性格の彼女が、
フィンランドで高校生活をすごし、ホームステイを体験し、
フィンランドと日本の教育について、高校生にしか書けない視点で
素直な言葉で比較&分析している所が、とてもよかった。
OECDの学力調査で、全ての科目で1位を誇る
フィンランドの子供達。
そのフィンランドの教育が、どうなっているのかというと…
○小学校から大学まで、授業料が無料
○試験は全て記述式(単語穴埋めテストなどあり得ない)
○塾や予備校、受験戦争は、ない。
○留年は恥ではない。分かったふりをして進級する方が恥。
・・・といった事柄は、もう他の本でも読んだ。
彼女の文章の中で、私が一番「キラリと光っている」
と思った個所を、ここで紹介する。
日本の学校教育は、「教」より「育」の比率が
圧倒的に高いように思える。
日本の学校では、学問を教えることがすべてではない。
(中略)成績が優秀で、勉強を教えるのが好きだから
先生になったとしても、日本のように生徒の生活指導まで
全て押しつけられたら、嫌になってしまう人もいるだろう。
日本では、勉強を教えることに関しては満足がいっていても、
それ以外の面で半人前だと、生徒も親も「先生」としての
評価を半人前とみなす。
ところが、教えることに徹する「先生」になれば、
生徒は自然と「先生」に尊敬の目を向けるようになる。
(本文265~266ページ)
・・・すごい。教育評論家ではない学生さんの彼女に、
これほど的を得た鋭い分析ができるなんて。
これは、6年間、高校教師を勤めた私が毎日感じていたことと
全く同じだったのである。
当時私は22歳で教壇に立った。
背も小柄で、童顔の私は(笑)、生徒の中に紛れてしまうと、
外見では教師か生徒なのか、区別もつかない。
世間的に見れば、職員室の中では最年少で、社会人としての経験も浅く、
「一人前の教師」として扱ってもらえなかったとしても、
仕方がないのではないか・・・と思っていた。
ところが、実際にはそうではなかった。
「生活指導や部活の指導は出来ないけれど、
英語の授業だけは、誰にも負けない」
という気合で、工夫を凝らし、自分の全精力を懸けて
授業をしていたら、自分とそんなに歳の変わらないはずの生徒達から
尊敬してもらえるようになったのである。
良い教師のバロメーターは、年齢や経験年数ではない、
ということを学ぶ、絶好の機会になった。
日本の公立学校の先生の仕事は、とても多い。
全ての仕事のうち、「勉強を教える仕事」は30%くらい
ではないか?というのが、私の予測だが、そこまで外れていないと思う。
教師のほとんどは、部活指導や生活指導などといった、
「教える」以外の仕事に追われているのが、日本の学校の現状だろう。
今の若い人の中に「先生になりたい」という夢を持つ人は
少ないのではないだろうか。。。
「先生」の勤務形態の改善を願う。。。
さて、次に紹介するのは、世界中の大ベストセラーである
こちら。(遅ればせながら、初めて読みました。。。)
『人を動かす』カーネギー著 山口博訳 創元社

・・・ハッキリ言うと、ものすごい衝撃を受けました。
以前、松下幸之助さんの『指導者の条件』を読んだ時、
「偉い人が、人生哲学について述べている本。」
「良いこと言ってるけど、例え話が古い。高尚すぎ。私には難しい」
という印象しか持たなかったのですが・・・。
カーネギーさんのこの本は、素晴らしい。
これ、人生でベスト5に入るくらい、必要な本じゃないかしら。
実はまだ半分くらいしか読み終わってないのですが(笑)
あまりにも良い本で、ずしんと心に残る感動が醒めないので
感想文を書き始めています(笑)
人をズバズバ批判して責めたり、公衆の面前で相手の過ちを正すことが、
優秀な人間の証拠だという、勘違いをしている人。
よく見かける気がします。
そんなやり方に、疑問を持っている方々にも、是非この本を読んでほしい!!
かく言う私も、イソップの「北風と太陽」に出てくる
北風のように、力づくで相手の考えを変えようと努力しがちです。
しかし、本来の理想的なコミュニケーションとは、
相手を受け入れ、相手に共感し、友好関係を築いてから、
お互いの違いを認めていくべきなんですよね。
「太陽のように、優しさと包容力で相手を動かしていく」
・・・そんな、この本に書かれている生き方を実践しなければ、
と肝に銘じました。
そして、最後に紹介する一冊は、こちら。
『世界を知る力』 寺島実郎著 PHP新書

カーネギー氏も述べている“agree to disagree”の精神が
こちらの著書でも述べられている。
「ロシアに初の日本語学校が設立されたのは、1705年だった」
という衝撃的な事実から始まり、大中華圏やユニオンジャックの矢
(元イギリス植民地のネットワーク)、ユダヤ民族のネットワーク
などを紹介。
「アメリカというフィルターを通してしか、
世界を見ることができない視点に、疑問を持て」
・・・著者は、読者にそう投げかけているのだ。
「外国へ行き、孤独や屈辱を味わうことは、
国際社会を生き抜くうえでとても大切」
「情報に流されず、自分なりの世界像を構築するには、
古本屋通いとフィールドワークを薦める」
という、著者の実体験に基づいた具体的なアドバイスも良かった。
インターネットや交通手段が発達し、狭くなったはずの世界。
ところが、現代人が本当に「世界を知る力」を持っているか?
というと、答えは「NO」である、と、著者は警笛を鳴らす。
私もそれは、かねてから疑問に思っている。
「国際化」という言葉が頻繁に使われ、海外旅行に行く人が増えたが、
「日本社会って、全然国際化してないじゃない?」
と思うことが多い。
また、ただ語学ができたり、海外生活が長かったりするだけでは、
真の国際人とは言えない、と、最近になって、強く思う。
いろんな意味で、目を開かせてくれる刺激的な一冊だった。
古本屋通いとフィールドワーク。
私も意識して、始めてみようかな。。。
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