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 ある本を読んでいた時、「和解」という言葉に、強く心を惹かれました。
 同じ本の英語版には、"We should make peace."(私達は平和を築かなければならない。)
と記されていました。


 その時ふと心に浮かんだのが、「風の谷のナウシカ」という映画です。


 私がここで説明する必要ないくらい、とても有名な映画で、
私にとっても大好きな作品で、もう何回も見ているのですが、
急に久々に見たくなって、DVDを借りてきました。
 
 その結果、以前の自分に見えなかったメッセージに気付かされ、
考えさせられました。
 今の自分が感じていることを、記録しておこうと思います。


☆★☆★



☆物語の主題

 この物語で扱われているテーマは、「環境問題」と「平和問題」の2つであるように思う。
 2つは、一見別々に起こっているプロセスであり、異なったアプローチで解決すべき
問題に見えるけれど、
実は、全く同じ私たち人間の過ちに起源を持つこと。
そして、物語に描かれる人類存亡の危機は、そのまま私達が今直面している危機の
投影だということを、改めてひしひしと感じた。


 映画に描かれる世界では、人々は非常に高度な文明を持っている。
 ところが、それを賢く使うのみならず、浪費を重ね、奢り高ぶり、
しまいには「人類は万能であり、神を超越した存在」という見地に達してしまった瞬間、
世界の崩壊が始まる。

 「腐海(ふかい)」は、人間が環境破壊をし尽くした先に待っていた、
自然界の怒りと悲しみ。
 美しかったはずの木々や植物が、猛毒を発し、人間を死に追いやる恐ろしいものに
変わってしまう。
 腐海は人類の敵ではない。私たち人間が生み出したものなのだ。

 また、戦争のために開発されたものの、人類のコントロールの範疇を超えてしまった「巨神兵」は、核兵器の投影かもしれない。 
 
 もう一つ、恐ろしさに震撼したのは、ペジテ軍の
「正義の実現のためなら、多少の犠牲者を出すのは仕方ない」
という発想。
 巨神兵を完全破壊し、世界に平和を取り戻すという名目のため、
ペジテ軍は、王蟲の大群に「風の谷」を襲わせる計画を実行する。
その際、風の谷に暮らす人々は、見殺しにする、というのである。

 これは、ほんの少し前、「正義のための戦争」と綺麗な言葉を使いながら、
何の罪もないアフガニスタンの人々に空爆を行い続けた、
アメリカのやり方に、あまりにも、そっくり。
 つい最近も、イスラエル軍がガザ地区にひどい攻撃をして、
その犠牲者のほとんどが子供と女性達だったという。
 「風の谷のナウシカ」は20年近く前の映画なのに。。。
 人類の行く末を、見事に予想し懸念していた宮崎駿監督の聡明さに、
改めて尊敬の念を覚える。


☆ナウシカ

 彼女が皆に尊敬され、愛されているのは、彼女が「お姫様」だからではない。
 もちろん、「姫」として生まれてきたが故に、様々な特権に恵まれてきたには違いないけれど、
彼女は、与えられた幸せを当然のものとして受け入れるのではなく、
常に周囲の人に感謝し、時には規則を破っても、自分の頭・心で考えて
周囲の人々のために行動できる人。

 風を見事に操り、飛行機を自在に操縦する動体視力、
腐海をとことん研究する探究心も羨ましいけれど、
パニックに陥った人々に、全身で訴えかけ、
「私を信じて!!絶対にみんなを助けて見せるから!!」
と笑いかけるリーダーシップは、たった16歳なのに、見事。
 ナウシカがあまりにもかっこいいため、
アスベルが全然目立たなくて(弱弱しくて)、何だか可哀そうなくらい(笑)。

 そんな彼女も、決して完璧な人間ではない。
 トルメキア軍に父親を殺された時、怒りに駆られて我を忘れ、
彼女は敵兵を数人殺してしまう。
 無益な殺戮は憎しみの連鎖を生むだけ、怒りに支配される自分の心の弱さが怖い・・・と、ユパ様に涙を見せる彼女は、
失敗から学び、感情の高ぶりを抑えようと苦悩する、理性の人でもある。


☆ペジテの女性達

 この映画の中で、ナウシカやユパ様がカッコいいのは当たり前なんだけど、
“make peace”という言葉から、私が一番に発想したのは、
実は、アスベルやラステルのお母さんを始めとする、
ペジテの女性達だった。

 「あなたをここから出してあげます。王蟲の大群が押し寄せることを、
風の谷の人々に、一刻も早く伝えてあげて」
 「本当にごめんなさい。酷い仕打ちを、許しておくれ…。」

 ・・・そう言って、ナウシカや風の谷の人々のために心を痛め、
助けようとしてくれるのは、軍人の母や妻や娘である、ペジテの女性達だった。
 彼女達は、軍人達と違い、「世界に平和をもたらし、人間の世界を築く」なんて
高い理想を掲げていたわけでもないし、
世界の頂点に立とうという野心を持っていたわけでもない。
 ただ、自分の村の人々を見殺しにされるナウシカの身になり、
それがどんなにつらいことか、分かっていたから、
善意と優しさのために、ナウシカに手を差し伸べる。
 それがバレたら、どんな罰則が待っているか、わからないのに…。

 世界の歴史は、権力や野心を持つ者ではなく、
こういう勇気ある人々の愛の行為により、変えられるのだろう。
 ナウシカの身代わりになって船に残ってくれた、
同じ年くらいの名前のない女の子もまた、ナウシカと同じくらい勇敢な人。
 ジブリ映画には、尊敬すべき女性キャラクターがたくさん出てくる。

 ナウシカは一度、メーベで船を脱出するけれど、
体を張って自分を守ってくれた女性達を放っておくことができず、
また船に戻ろうとする。
 彼女の恩義を重んじる所、感謝の気持ちを忘れない所、大好きです。


 そして、私は、このペジテの女性達のような生き方をしたい。
 そう願っている自分がいます。



☆クシャナ姫

 私はこの人が最初嫌いだった。
 しかし、今回映画を見直してみて、彼女は根っからの悪人ではないということが分かり、
少し希望を持てる気がした。

 幼い頃、王蟲に傷つけられ、一生の大怪我を負ってしまった彼女は、
以来王蟲に怯え、憎み、そのトラウマが原因で、
力を誇示することでしか自分を守れない大人になってしまう。
 その臆病で孤独な心を初めて見破ったのが、ナウシカだった。
 クシャナ姫が、誰一人信頼できる腹心の部下に恵まれていないのは、
彼女が心を閉じているせい。
 彼女のような人は、現代人にかなり多い気がする。
 ナウシカと出会うことで、彼女は少しずつ変わっていく。
 恐怖を抱いていたものに対して、心を開き、対話を始めることは、
戦争にピリオドを打つ第一歩として重要なプロセスだと、
クシャナ姫のエピソードは教えてくれる。


☆大ばば様

 もう一人、忘れてはいけない女性がいる。

 推定、90歳くらい? 村の長老的存在の「大ばば様」は、
体も弱く、目もほとんど見えないみたい。
本来だったら、周りから「おばあちゃん、だいじょうぶですか?」
と気遣われるべき存在のはずである。

 ところが、このおばあちゃんは、とにかく強い。
 トルメキア軍が寝室に攻め込んできた時、ジル(族長・ナウシカの父親)
に「ばば様は隠れていなさい」と言われても、
「わしゃ、ここにいる」と微動だにせず。
 敵軍が兵士や戦車を背景に、朗々と「占拠宣言」している真っ最中に、
ヨロヨロと進み出て、「腐海を燃やしてはならぬ」と、逆にお説教。
最後には「ジルを殺したようにな」と不敵に笑って、敵を挑発。
 森を燃やすという大きな決断を、村の人々は大ばば様に委ねていた。
 こういう時に頼りになる、知恵と判断力に優れたお年寄りって、
とても大切な存在だよね


☆オトリになった、王蟲の子

 最後にもうひとつ、私が大好きで仕方ない登場人物について書きたいと思う。
 …といっても、今回は「人」ではないんです(笑)。

 蟲の大群をおびき寄せるために、ペジテ軍は、小さな王蟲の子を誘拐し、
傷つけて血だらけにし、ロープでつるして、王蟲達を挑発する。
 …やり方が、あまりにも汚い。吐き気がする。
 いくら「平和のため」とか理想的な言葉を言ったところで、
私達には分かっている。
 小さな命を大切にできない人が、大きな命を大切にできるはずがないことを。

 ところが、この王蟲は、ナウシカに心を開いてくれる。
 それは、腐海の毒で危険な湖に誤って入らないように、
体を張って止めてくれたナウシカの気持ちが、通じたから。

 自分を傷つけた「人間」を、信頼できずに、憎んで、当然なのに、
この小さな王蟲の子は、人間を受け入れ、心を開いてくれる。
 私には、この王蟲の行為が、とても偉大な行為に思える。
 自分を傷つけた存在に対して、許しの気持ちを持つことが
どんなに難しいかを、よく知っているから。。。

 そして、この王蟲のように、相手の罪を許し、心を開くことが、
平和な世界を築く第一歩であるということにも。。。


☆終わりに

 遠い国々で、今も戦争が起こっています。
 けれども決して、それは遠い世界での話じゃないと、ひしひしと感じます。
 なぜなら、私の心にも、戦争を起こしてしまう要素があると、感じるからです。

 私達は時に、誰かに対して「アンタ達なんか死ねばいいのに!!」
と思ってしまったり、
その人達を、許そうと一生懸命努力しても、
どうしても許すことができずに、苦しい思いをしたりします。

 けれど、銃を向けてくる人たちに銃を向けて威嚇した所で、
終わらない殺戮が繰り返されるだけという事実は、
誰もがもう知っています。


 私にできること、それは、憎んでいる人を許すこと。
 「私はあなたの敵ではありません」と、心を開いて語りかけること。

 もちろん、向こう側が「許してほしい」「手を取り合おう」という気持ちを持っていなければ、
それはそれで、新たな複雑な問題なんだけど。。。


 けれど、他人に答えを求めるよりも、まずは私自身が変わらなければ。


 「許し」-それは私にとって、理屈の上では正しく、あるべき大切なことだと分かっていても、
心ではどうしても受け入れらず、難しい行為です。
 けれど、せめて心を開いて、憎しみや恐怖に蝕まれることのない、
自由な心でいたいと思います。
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2009.02.25 Wed l 映画 l COM(0) l top ▲