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 我が家の本棚には、弟が全巻揃えた『ジョジョの奇妙な冒険』の単行本が、
ズラリと並んでいます。
 漫画ファンなら誰もが知るこの名作を、私は今まで、一度も読んだことがありませんでした。
 何度か「ジャンプ」などで断片的に目にしたことはあるものの、何となく敬遠していたのは、
あまりに話が長くて、どこから手をつけるべきか分からない…というのと、
何となく難しそう(ものすごく頭の良い人がストーリーを考えている感じ)だったから。

 しかし、周囲に熱狂的なファンが多いことも事実。
 せっかく自宅に全巻が揃っているのに、何も手をつけないなんて、宝の持ち腐れ!!
 一大決心をした私は、とうとう重い腰を上げて、読み始めることにしました。


 さて、現時点では10巻までしか進んでいないので、
メインの章(弟の話によると3章らしい)にさえ到達しておらず、
何も悟ったようなことは言えないのですが…


 すごく好きです!!
 ストーリーが面白いことはもちろん、ひとつひとつの台詞がいい。心に染みる。
 漢(おとこ)らしい登場人物が多い!!(笑)


 特に心に残ったセリフは、「真の強さ」に関するものです。
 少年漫画の定番らしく、この漫画の登場人物たちも、今よりもさらに強くなるために
技を磨いて修行を積むのですが、
そんなシーンで、よく「恐怖の克服」に関するセリフが出てきます。
 それは、「人間なのだから、恐怖を感じることは仕方がない。
けれど、恐怖を自分の中に取り込み、自分の一部とすることで、さらに強くなれ」
…という趣旨のもの。


 実は私は、この場面を読んで、南アフリカ共和国の元大統領であり、
ノーベル平和賞受賞者でもある、ネルソン・マンデラ氏のエピソードを思い出していました。

 ある時、マンデラ氏が、ものすごいオンボロ飛行機に乗って旅をする途中、
乱気流に巻き込まれ、飛行機は今にも墜落寸前、絶体絶命のピンチに立たされたそうです。
 周囲の乗客がパニック状態に陥る中、一人だけ平静心を保ち、
落ち着いて人々に的確な指示を与えるマンデラ氏。
 飛行機は無事持ち直して、空港に到着しました。
 乗務員や乗客たちは、口々にマンデラ氏にお礼を述べ、
オロオロせずに冷静さを保っていた彼を誉めたたえたそうです。
 すると、マンダラ氏は意外にも、
「私もあの時は、いつ飛行機が墜落するか分からず、怖くて仕方なかった」と述べたのだとか。

 後にマンデラ氏は、
「勇者とは恐怖を知らない人間ではない。恐怖を克服する人間のことなのだ。」
という有名な言葉を残しています。


 『ジョジョ』を読んでいると、このマンデラ氏の言葉と、全く同じメッセージが
伝わってくる気がします。
 そういう志の高さが、すごくかっこいい。
 ずいぶん時代に乗り遅れてしまったけれど(笑)、久しぶりに熱い漫画に出会えました。


 最後に、今私の中で、一番ブームになっているセリフを一つ紹介します♪

 第2章(7~8巻あたりでしょうか)に、魔物に取り憑かれてしまったドイツ人の将校が、
「世界の平和のために、魔物ごと自分を爆破しろ!!」と主人公に迫る場面があります。
 男気のある主人公のジョースターは、もちろん躊躇するのですが、
その時に彼が、こう言って微笑むのです。

「人間の偉大さは、恐怖に耐える誇り高き姿にある…。
ギリシャの史家プルタルコスの言葉だ。」


 …シブい。…シブすぎます!!
 こういう男気のある世界観、大好きだわ♪(笑)


 これから、いくつのかっこいい台詞に出会えるか、楽しみですね♪(^^)

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2007.12.27 Thu l 漫画 l COM(0) TB(0) l top ▲
 クリスマスにちなんで、キリストの生き方について考えさせる音楽と本の
つれづれエッセイ、第2弾です




one of us


♪“One Of Us”  by Joan Osborne

If God had a name, what would it be
And would you call it to His face
If you were faced with Him in all His glory
What would you ask if you had just one question

What if God was one of us
Just a slob like one of us
Just a stranger on the bus
Trying to make His way home
Back to Heaven all alone
Nobody callin’ on the phone
‘Cept for the Pope maybe in Rome

(日本語訳)
もしも神さまに名前があったとしたら それはどんな名前で
あなたはその名前で彼に呼びかけるのかしら
もしも天上の栄光に包まれた神さまと向き合ったとして
たった一つ尋ねたいことがあったなら あなたは何て聞くのかしら

もしも神さまが私達の一人だったなら
私達の一人のような グズでのろまな人間だったなら
家に帰ろうとしてバスに乗っている
ただの見知らぬ人だったなら
たった一人で 天国へ帰ろうとしていて
誰も電話をかけてくれない 
多分 ローマにいる法王以外には




 私が初めてこの曲を聴いたのは中学3年生の時だ。

 「もしも神さまが普通の人間に姿を変えて、誰にも分からないように
私達と一緒に暮らしていたら、…?」

 それまで考えてもみなかった、とても空想的な世界観を描いた詩に、
たちまちのうちに私は夢中になっていた。

 宗教的な事柄について、こんな風に考えるのは不謹慎かもしれないけれど、
学校帰りにバスを待っている時、私の並んでいる列に、
もしかして人間に変身した神さまも並んでいるかもしれないと想像してみたり。
 家に帰ったら神さまも、私達が友達同士でするのと同じように
ローマ法王と電話でおしゃべりして、お腹を抱えて笑っているかもしれないと考えたりして。
 オチャメなヒゲをはやしたおじいさんみたいな神様の空想に耽り出すと、楽しくて止まらなくなった。

 そして、この詩に描かれている、まるで人間みたいな神さまをとても愛おしく思い、
心が温かい気持ちに満ちていった。
 もしも彼に顔があるとしたら、とても優しい目をした、笑顔の素敵な人だろう・・・。
そんな風にも思った。

 大学生になって、改めてこの詞を読み返した時に、
“Just a slob like one of us”というフレーズが妙に心に引っかかった。
 中学生の時には気にも留めなかったけれど、
“slob”という単語は、確か「間抜けな」というような、悪い意味ではなかっただろうか。
 辞書を引いてみると、やはりそこには「だらしのない人、のろま」と書いてあった。

 「素晴らしい、偉大、輝いている-。」
 美しい言葉で神を讃える詩や讃美歌なら、いくつも知っている。
 それなのに、こんな風に(どちらかというと)否定的な言葉で神を表現するなんて…。
 私にとっては、それは大きな衝撃だった。
 それと同時に、不思議な感覚と共に、ふっと心に浮かんできたものがある。
 それは、宗教的な題材を取り扱った、ある2冊の小説だった。
その2冊の小説に描かれた神さまは、“One Of Us”に描かれている
「のろまな神さま」に、少しだけ似ていると思ったのだ-。

 1冊目は、アメリカの作家、ノーマン・メイラーの「奇跡」。
 この小説は、「私」(=イエス・キリスト)が自分の生涯について語る-という、
いわゆる私小説の形式をとっている。
 まさか聖書や宗教書以外に、イエスの生涯について詳しく書いた本、
それも「イエス自身の自伝小説」なるものがこの世に存在するなんて驚いたけれど、
それよりももっと衝撃を受けたのは、この小説に描かれている、
正直者で優しい、普通の人間と何ら変わらない、素朴なイエスの姿だった。
(物語は、大工として職人修業を積んでいる普通の12歳の少年イエスが、
ある日父ヨハネから「おまえは実は救い主として生まれたんだ」と聞かされ、
「えー!?ホントですか!?」と驚く場面から始まる。
とても斬新な小説です。興味のある人はぜひ読んでみて下さい☆)

 もう1冊は、遠藤周作の「沈黙」。
これは、中学生の時に夏休みの聖書の宿題で読んだ作品。
 主人公は、キリスト教が禁止されている時代の日本に潜入した、ポルトガル人の司祭。
 多くの日本人クリスチャンが踏絵を強いられ、殉教していくのを目の当たりにしながら、彼は

「このような状況を前に、神はなぜ沈黙されているのか」

という大きな疑問を抱え、苦しみ続ける。
 そして最後、彼自身も奉行所に強いられ踏絵を踏むことになる。
 それまで、「何よりも美しい」と信じてきた神を、踏絵という行為により
汚し、裏切ることに、重い痛みを感じる彼だったが、
踏絵の瞬間、踏絵の中のイエスが、彼にこう語りかける。

「踏むがいい。私はおまえ達に踏まれるため、この世に生まれ、
おまえ達の痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」・・・と。

 司祭はその時初めて、
「神は沈黙されていたのではなく、私達と共に苦しんでいたのだ」
と悟るのだった-。


 この2冊の小説に描かれた神は、決して全能ではない。
けれど、まるで人間のように、弱さと優しさを抱えている。
それを、とても印象的に思った。


「もしも本当に神が存在するのなら、
どうして世界から悲しい出来事がなくならないのだろう-?」

 …きっと多くの人が、その疑問を持ったことがあるだろう。
 私はと言えば、受けとめられない現実にぶつかった時に、何度もそう考えた。
 神さまなんていないんじゃないか-。そう思うほど絶望したこと、自暴自棄になったこともある。
 けれどその問いかけに対する答えを、今なら少しだけ理解できると思う-。


 終わらない悲しいニュース。酷い事件ばかりの毎日の現実。
 だけど神さまは薄情者なんかじゃない。
 神は確かにこの世界に存在していて、全てを知っている。
 私達が泣いている時、一緒に涙を流すために、そばで見ていてくれる。
 苦しみを一緒に背負おうとしてくれる存在がある時、人は何倍も強くなれる。
 そういうことを、この2冊の小説は言いたいのではないかと思う。


 だから、今“One Of Us”を聴いて強く思う。
 この歌の中の神様は、まばゆい光に包まれた
目も眩むようなかっこいいスーパースターでもなければ、
大勢の部下(天使達?)を従えて威風堂々としている皇帝のような人でもない。
 朝ご飯のトーストをかじったり、
バスに遅れないように走ったり、
仕事中に愛する人を思い出してふっと微笑みがこぼれたり、
手帳のカレンダーに印をつけて、来週のパーティーを心待ちにしていたりする、
私達と同じように、忙しくて幸せな愛しい毎日を精いっぱい生きていて
周りのみんなに大切に思われている、普通の人間みたいな人なのだと思う。
 同じ人間の立場を知っているからこそ、私達の抱えてる痛みを分かってくれる。
 悲しんでいる人を見ると、自分の事のように涙を流せるほど優しい心の持ち主だからこそ、
人々を深く愛し、心の支えになることができるのだろう…。


 私はそんな「グズでのろま」な神さまを
どんなに強くてたくましくい神さまよりも、とても愛おしく思う。
 そしてもし、その神さまに顔があるとしたら
とても優しい目をした、笑顔の素敵なおじいちゃんだろうと、今でも思っている。
2007.12.23 Sun l 音楽 l COM(0) TB(0) l top ▲
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 クリスマスが近づいてきました。

 クリスマスにちなんで、今日は、キリストの生き方について考えさせる、
私の大好きな小説を紹介したいと思います。




『セイジ』/辻内智貴著(筑摩書房)

 とんでもない本に出会ってしまった。
 読み終えた後も、心にズシンと残るものがあり、思い出すたびに嗚咽がこみあげる。
 あまりにも痛々しく、当分の間、読み返すことはできないだろう・・・。
この本にはそれ程の衝撃を与えられた。


 例えば身近に、悲しんでいる人がいたとする。
 あなたならどうするだろうか。

 話を聞いたり、ただそばにいたり・・・。
 それだけしかできないと言って、
やりきれない気持ちで途方にくれた経験なら、多くの人が持っているだろう。

 今も、地震や津波のニュースがテレビで報じられると、
「大変だな、大丈夫だろうか・・・」と、被災地の人々を心配しながらも、
しばらく経つうちに日々の仕事に忙殺され、
いつしか、それを忘れかけている、薄情な自分がいる。

 悲しみという行為は、人間が生きていくために、発達をやめてしまったのかもしれない。
 敏感で繊細な人ほど、遠い地の悲しいニュースを見ただけで涙を流す。
 自分に直接関係のない事や、とても些細なことなどで悲しみに打ちひしがれるようでは、
正常な生活を営むことなど、できなくなる。
 皮肉な話かもしれないが、心の優しすぎる繊細な人間は、
優しさだけは生きていけないのだ。

 物質的に恵まれた現代の私達の国では、心の傷や孤独感を抱えた人が多く存在し、
カウンセリングがますます広く一般的になりつつある。

 しかし、この小説の主人公である「セイジ」さんは、
カウンセリングだとか医学的治療だとか、
そういったものとは全く別の方法で、心に深い傷を抱えた少女(リツ子ちゃん)を救おうとする-。
  
 あの行為を行ったのが、リツ子ちゃんの肉親のゲン爺さんではなく、
赤の他人のセイジさんであったことに、この物語の大きな意味がある。
 大人になり幸せな生活を送るリツ子ちゃんは、
セイジさんについて「神さまを目の前で見た」と表現する。
 その場面で初めて、一見物語の本筋と何ら直接的なつながりはないと思われる
前半のエピソードが、全て一つのある主題につながっていることを確信した。

 セイジさんこそ、他人の十字架を背負い、他人のために自らを犠牲にしようとした、
キリストのだったのだ。

 彼は、語り手の大学生の青年にこう言う。
「人は、悲しい思いをするために生きているんだ」と。
そして、
「百年ながらえるより、一瞬でいいから生きたい」と。

 一見、世捨て人のような生活を送るセイジさんにとって、
生きていくためにお金を稼ぎ、ボロボロになるまで身を粉にして働き、
そのうち自分が何のために働いているのかわからなくなってしまうような生き方は、
とても痛々しく思えたのだろう。
 富も名誉も求めず、無いものねだりもせず、ただ世界が与えてくれるものを享受し、
感謝し、祈りながら日々をすごしていく、無欲で素朴な賢者-。
 生きるために生きること-。「生きる」という行為そのものに、意味を見出そうとする、
そんな彼の心は、あまりにも純粋で、まっすぐで、もろく儚い。

 けれど、リツ子ちゃんを救おうと自分に斧を振り下ろしていたあの時、
彼はきっと「生きている」と心の底から感じていたのではないだろうか。

 神とは何か。神は本当に存在するのだろうか-?
 多くの人達が問いかけてきた質問である。
 私自身は、この物語は、イエス・キリストを語る寓話に他ならないと思っている。
 神、それは、力強く、全能で、輝かしいスーパースターのような
「あがめる」対象・・・という存在だけではない。
 「セイジ」さんのように、他人と同じ苦しみを背負い、
「僕も、君の痛みを知っているよ。負けないで」
と、一緒に涙を流し、一緒に耐えてくれる存在なのではないかと思っている。

 この物語を読む度に、神様の臨在を感じる-。
 
 こんな物語に出会うのは、最初で最後だと思う。

2007.12.22 Sat l 小説 l COM(0) TB(0) l top ▲