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私は大学2年生の時、国際青年赤十字の語学奉仕団という所で、
英語と日本語の同時通訳のボランティアをしていました。


 残念なことに、その時のお友達とは、ほとんど
連絡が途絶えてしまったのですが・・・
 今年になってから、とても嬉しいことが!


 語学奉仕団時代、一緒に通訳をしていたお友達が、
最近、このブログを読んで下さっているのです^^


 今では私は、もう赤十字のボランティアはやめてしまいましたが…
 とても懐かしく、嬉しくて、胸の奥にしまってあった
赤十字での大切な思い出を、たくさん思い出しました・・・。


 あの時、赤十字で経験したことは、今でも私の人生の
貴重な財産になっていて、私を支えてくれています。
 今日は、その時のエピソードを紹介したいと思います。



 私が「赤十字でボランティアをしよう!」と思ったのは、
大学2年生の4月、週刊Student Timesという新聞で、
ボランティア団員募集の広告を見かけたことがきっかけでした。


 同時通訳や、世界の平和に貢献するお仕事に興味があったし、
自分も勉強しながら、誰かの役に立てればいいな・・・と思って、
申し込みました。
 TOEICの点数(当時は700点代だったかな??)を提出したり、
入団に当たって英語のテストもあったりして、最初は緊張しましたけどね(^^;


 最初は、日本語の絵本を英語に翻訳するのを手伝っていましたが、
そんなある日(5月だったかな)。

「8月に、青年国際シンポジウムが開催されるので、
同時通訳ボランティアを募集します!」

というニュースが届きました。



 4泊5日、山中湖の近くの宿舎で開かれるというシンポジウム。
 日本人の赤十字に所属する青年達(ほとんどは高校生)と、
インドネシア・オーストラリア・コートジボワール・ドイツ・フィリピン・
レバノン・ロシアから各国1人ずつ派遣された代表の青年が、
平和問題について話し合い、赤十字として何ができるかを考える、
という内容のもの。


 会議は英語で行われるので、ボランティアの私達は
日本人の青年たちのために、日本語と英語の同時通訳をする、
というわけです。


 このイベントに申し込んでからというもの、赤十字での活動が、
とても楽しくなりました^^


 すごく良かったなぁ・・・と思うことは、青年赤十字団員の方達と共に、
私達ボランティアも、赤十字の理念について研修を受けられたことです。



 スイス人のアンリ・デュナンさんが設立した赤十字。
 「中立」をモットーとし、いかなる人種、宗教の人も差別せず、
人道的な立場から救援の手を差し伸べること。


 特に、

 「自分と異なる宗教を持つ人を笑ってはいけない。
 例えば、イスラム教徒の人達は、毎日5回、膝をついて
メッカの方向に向かってお祈りをするが、
彼らを見て笑ったりバカにしたりするのは、すごく失礼。
 また、宗教が原因で食べられない食べ物を、
無理強いするのも言語道断。もってのほか。」


・・・こういう話を聞いておいて、よかったなぁ・・・と思いました。


 日本の学校って、地理の授業で世界の宗教について
勉強したりしますけど、
じゃあ、いざイスラム教徒やヒンズー教徒の人が身の回りにいたら
どう接すればいいか?ということは、あまり教えないですよね。



※余談ですが、私の塾の生徒さんの中に、
修学旅行でマレーシアに行く高校生がいて、
彼は上記と同様のレクチャーを担任の先生から受けたそうです。
 国際的な視点を持っており、とても良い教育をしている学校だと思いました^^



 国際化国際化、とメディアはいいますが、
ただ単に英語を勉強すればいいという短絡的な問題ではなく、
日本の学校も、こういった視点から物事を教えていくべきだと思います。



 シンポジウムは、朝から晩まで、ディスカッションしたり
ディベートしたり、ビデオを見て感想を発表したり・・・
とにかくすごかったです。
 日本語と英語をしゃべりすぎて、毎日頭フラフラでした(笑)



 けれど、その時参加していた青年赤十字の皆さんが、
本当にフレンドリーで素敵な方ばかりで・・・・・・^^


 彼らのほとんどが、高校2・3年生でしたが、当時の私は大学2年生。
 年齢的にも、すごく近いはずなのですが、
聡明で礼儀正しい方が多く、尊敬のまなざしで見てしまいました。


 赤十字の団員さんだけあって、皆さん、世界の平和に
貢献したいという意識とmotivationが、すごく高かった。 
 議論する時に、まずは他人の意見を黙ってしっかり聞き、
感情的にならずに、忍耐強く見解を述べ、
相手に恥をかかせないように気配りする姿勢を
自分も見習いたいと思いました。


 さて、その時に通訳をしたディベートのうち、
最も印象的で、今でも強烈に覚えているテーマが、2つあります。

 それは、

1.平和貢献活動団体として、赤十字とNGO、どちらが優れているか?

2.自分の祖国を離れてまで、戦争が起こっている地域にボランティアに行くべきか?

というものです。




 私は、まず、1番のテーマを見て、あっけにとられました。

 だって、赤十字の団員さん達が、赤十字と他のNGO団体の優劣を
比べなきゃいけないのです(笑)
 このテーマを青年団員さん達に話し合わせる、赤十字の幹部の人達。
 頭がいいというかradicalというか・・・
 もう、すごい!!と思いましたね。



 ディベートは、くじを引いてチーム分けをしました。

 面白いな・・・と思ったのは、
「他のNGO団体の方が、赤十字よりも優れている」
と主張しなければいけないチームの皆さんの意見。


 彼らは、「中立」という理念によって縛られる、
赤十字社の限界について、鋭く突っ込んでいました。



 例えば、赤十字社って、地雷の撤去活動に参加してはいけない、
という、おかしな取り決めがあるんです。


 「地雷を除去する=特定の国を批判する行為」
と受け取られてしまい、「中立」という理念に反するんですね。


 そのため、赤十字社にできることは、地雷で傷ついた人たちの
傷の手当てをしたり、義足を寄付したりすることだけ。
 地雷の撤去活動は、基本的に、やってはいけないことなんです。


 このことについて、「NGO側」の皆さんが、

「こんな馬鹿げたことはない!赤十字も地雷撤去活動をするべきだ」

「地雷撤去は人道支援ではないのですか?」

と批判していました。




 自分の所属する団体のやり方を、
全面的に丸のみして何の疑問点も持たないよりは、
何に対しても常に批判的視点を持つことがいかに大切か、
このディベートを通して学ばせていただきました。


 このディベートの後、まとめとして、私達はあるビデオを見ました。
 それは、南米ボリビアに複数存在しているゲリラグループと
和解に努める、赤十字社、そしてNGOの姿を、同時進行で追った、
ドキュメント番組(英語)でした。


 NGO団体は、ゲリラグループとガンガン交渉していくのに対し、
赤十字は、ゆっくりゆっくり、10年のスパンで時間をかけて
和解していく・・・という内容だった気がします。


 映像を見た後、赤十字の幹部の人が出てきて、
青年達に、まとめの演説をしていました。


「赤十字は、“中立”をモットーにしています。
この“中立”の理念のために、活動を制限されることもあります。
世界には、私達以上に優れた活動をしているNGO団体も、たくさんあります。
 しかし、私達・赤十字にしか出来ないこと、
赤十字だからこそ出来ることも、たくさんあります。
 私達は赤十字団員として、自分たちの活動に誇りを持ちましょう。」


 まぁ、何とClearで分かりやすい・・・・・・!!


 自分の団体の良い点と足りない点を客観的に分析し、
他の団体の良い所にも目を向けなさい、という教育。
すごいと思いました。


 一方、

2.自分の祖国を離れてまで、戦争が起こっている地域にボランティアに行くべきか?

というディベートも、かなり盛り上がりました。


「戦争地域で被害にあっている人達を、
一刻も早く助けにいかなければ・・・!!」

という意見もわかるし、

「いや、自分の国の自分の家族を捨ててまで
危険な地域に行くべきなのか?
遠くの人よりも、まずは自分の家族を守ることが
大切ではないですか?」

という意見も正しい。

 どっちも正解で、どっちも間違っていない・・・。
 こういう命題に対して議論をすることは、大切だと思いました。


 赤十字で教わったことって、まだまだ書ききれないくらい
たくさんあるのですが、
この2つのディベートについては、私、今でも覚えています。


 ちょっと時間がないのでまとめに入りますが(笑)
学生時代に、こういう活動をさせてもらったことに、
今でも感謝しています。


 そして、ボランティアに行かせてくれた自分の家族や、
もちろん、自分の大学にも感謝したいと思います。


 赤十字は、大学での活動ではありませんでした。
 でも、私があのシンポジウムで、同時通訳のような大切な仕事を
させてもらえたのは、
大学で受けてきた英語教育と、大学の英語の先生達のお陰であり、
一緒に勉強してくれた大学時代の友達のお陰だとも思います。


 そして、個人的なことを言うと、
実は、あのシンポジウムに参加したことがきっかけで、

「自分は同時通訳者には向いていない」

と気づいて、教師を目指すきっかけにもなったんです^^


 機会があれば、赤十字社で出会った青年団員さん達についても、
書きたいと思います。
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2012.02.13 Mon l エッセイ l COM(0) l top ▲
My favorite Japanese expression is:

「お茶が入りましたよ」

(Ocha ga Hairimashita Yo)

which means "tea is ready" or "tea has been made"


 I like the phrase because, when Japanese ladies

make tea, they don't say "I made tea for you!"



 If you exaggerate that it was ME who made tea,

it sounds snobbish and overestimating yourself.




 That's why Japanese women just say,

"Tea has been served", as if tea got ready

on its own without human's hands.

In this way, the tea makers never tell WHO did it.




 It's a Japanese style of beauty.

 I like the way Japanese women make tea

and say 「お茶が入りましたよ」.

 It's so graceful and make the atmosphere soft


 I want to be an elegant woman like that:)


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 私が一番好きな日本語は、

「お茶が入りましたよ」という表現です



 日本人の女性は、「私がお茶を入れました!」

とは、絶対に言わないんですね:)

 もしも、「そのお茶を入れたのは私なんです!!」

と強調してしまうと、日本では、自分の価値を

上げすぎていると思われてしまうんです。



 だから日本の女性は、まるで、お茶が

ひとりでに勝手に出来上がったかのように、

「お茶が入りましたよ」と言い、

誰がそのお茶を入れたのか、明らかにしないんです。


 それが、日本の美学なんですね



 私は、日本人の女性の方が、お茶を入れて下さって、

「お茶が入りましたよ」と呼びかけて下さる、

その上品な言葉と物腰が大好きです^^



 私も、そんなエレガントな日本女性になりたいと

思っています

2011.11.28 Mon l エッセイ l COM(0) l top ▲
210px-Sugihara_b.jpg
▲杉原千畝さん

この記事は、下記のwebsiteを参考にして書きました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chiune_Sugihara

「日本史の登場人物の中で、
あなたが最も尊敬する人物は誰ですか?」

 これは、私が「通訳案内士試験」という国家試験の勉強を
していた時に出会った、忘れられない質問である。

 この質問の解答を考えた時、強烈な存在感とともに
私の心に浮かんだ人物がいる。
 その人の名前を、杉原千畝、という。


 杉原千畝さん。戦時中、リトアニア領事を務めた外交官である。
 ホロコーストからユダヤ人を救うため、自分のことを省みず、
昼夜兼行で、安全な日本への入国ビザを、
手がしびれるまで書き続け、約6000人のユダヤ人の命を救った。
 海外では「日本のシンドラー」とも呼ばれている。


 第二次世界大戦中は、世界中が狂っていた時代だ。
 ナチス・ドイツが、信じられないほど多くのユダヤ人を虐殺し、
日本人もまた、軍国主義の下、アジアの国々を侵略していた。
 権力者達は、暴力と恐怖を植えつけることで、人々を操っていた。

 どんな善良な人達も、暴君の圧政の中、次第に感覚が麻痺し、
自分や家族を守るために仕方なく、独裁者の奴隷と化していた。
 そんな中にあって。

 下手をしたら、酷い処罰が待っているかもしれない。
 日本とドイツは当時、同盟国であり、
ホロコーストを邪魔するようなことを、日本人の外交官が
やって、許されるはずなどなかった。それにもかかわらず。

 世界中が狂っていた中、理性と良心を失わずに、
彼は、ユダヤ人を救うために、ビザを書き続けた。
 それは、彼が如何に強い不屈の信念を持ち、
断固たる決意で生きていたかを物語っている。


 千畝さんをつき動かしていた原動力は、一体何だったのだろう。
 それに関する、私の考えを綴ってみたいと思う。

 私は、千畝さんを動かす原動力は、二種類あったと考えている。

 一つは、キリスト教徒としての信仰心である。

 プロテスタント系のクリスチャンとして洗礼を受けている彼は、
生前、ユダヤ人へのビザの執筆に関して、次の言葉を残している。

「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、
 人間としては当然のこと。
 私には彼らを見殺しにすることはできなかった 」

「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。
 でなければ私は神に背く」


 これは私の想像だが、彼もまた、神に救われた経験を
持っている人なのだと思う。
 自らを救ってくれた神に対して、深い信仰があるからこそ、
周囲に惑わされず、神だけをまっすぐ見つめて生きることが
できたのではないだろうか。

 Because I see Jesus in him.
 私にはわかる。千畝氏の中に、イエスの姿が見えるのだ。


 彼がビザを発行したのは、有名になりたいからでも、
歴史に名前を残したいからでもない。
 もしも彼が生きていて、ノーベル平和賞などを受賞し、
その時の出来事についてインタビューされたならば、
彼は、きっとこんな風に答えるだろう。


「立場が違えば、私もユダヤ人の1人だったかもしれない。」

「救う者と救われる者は、人間としては対等です。」

「名誉などいらない。人として当たり前のことをしただけです。」



 さて、ここまで読んで下さった方の中には、
「キリスト教徒が人を救う話は、目新しい話ではない」
と思った方も、いらっしゃるかもしれない。


 しかし、杉原さんが多くの人の命を救ったのは、
彼が、他のどの国でもない、日本という国に生まれ、
日本の文化の中で育ってきた日本人だったたからこそ、
為せる業だったのではないか?と、私は考えている。


 彼を突き動かしていた、第二の原動力。
 それは、武士道精神である。

 武士の生き方は、常に死と隣り合わせである。
 主人に命じられたら「切腹」する・・・などといった習慣は、
西洋人から見れば到底信じられないものかもしれない。

 しかし、武士の生き方は、命を粗末にする生き方ではない。
 むしろ、弱者を守るために自分を犠牲にする時、
心に抱えている恐怖を、表に決して出さず、
勇敢に誇り高く、死に立ち向かうことを教えようとする
深い哲学であるように思われる。


 後々になって、千畝さんは、次の古い侍の諺を引用している。
"Even a hunter cannot kill a bird which flies to him for refuge."
(猟師でさえ、危険から逃れて彼のもとに飛んできた鳥を殺すことはない)


 私が文献でこの諺を見つけた時、脳裏によぎったのは
「武士の情け」という言葉だった。


 本来の武士道とは、強きをくじき、弱きを助けることであり、
恩讐と職務を超えて人間的な温かい配慮が出来る人を
立派な侍と呼ぶ。

 歴史家の中には、「武士道精神と軍国主義は全く違う。
もしも明治維新の後も、侍が生き続けていたら、
日本は太平洋戦争という名前の弱い者いじめなど、
絶対に行わなかったであろう」
と分析している人もいる。
(参考:『英語で日本を語れますか』秋澤公ニ著 )


 侍が滅びた後も、武士道精神は日本に残り続けた。
 侍の魂を受け継いだ千畝さんだったからこそ、
この立派な行為ができたのではないだろうか。

 キリスト教の深い信仰と、厚い武士道精神。
 その二つが融合し、千畝さんを支えたのではないかと、
私は考えている。


☆★☆★☆


 杉原千畝さんは、すごい語学力の持ち主だったらしい。
 英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を自由自在に操り、
特にロシア語はネイティブ並みに上手かったという。

 また、国家公務員の地位についており、
お給料も高かったのだろう。

 しかし、今日、彼が世界中で尊敬されているのは、
語学力のせいでもなければ、お金や地位のせいでもない。
 どんなに素晴らしい能力を持っていても、
それを人を助けるために用いなければ、何の役にも立たないからだ。


 彼が尊敬される理由。それは、彼に
「一番弱い人達のために、自分を捧げる」
という、尊いヴィジョンがあったからだ。

 私は、同じ日本人として、彼を誇りに思う。
 侍は死んだ。でも、武士道精神は、今も日本に生き続けている。
 彼が命をかけて伝えてくれた福音もまた、私の中にも生き続ける。
 誇りを持って、彼のことを伝えていきたいと思う。

2011.05.03 Tue l エッセイ l COM(0) l top ▲
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 今年のお正月、旅行で初めて上海を訪れました。
 その時から中国の大ファンになってしまって、手に取った一冊です。

 大正10年3月下旬~7月上旬まで、およそ4ヵ月に亘り、
上海・南京・九江・漢口・長沙・洛陽・大同・天津等を遍歴した芥川龍之介が、
政治、文化、経済、風俗ほか、当時の中国の世相を鮮やかに描写したエッセイ。
(出版社からの内容紹介より)
 
 芥川龍之介氏が、旅行エッセイを書いていること自体知らなかったし、
彼がこんなに茶目っけたっぷりな語り口の作家さんだなんて考えもしなかったので、
新鮮でした♪

 世界中各地から人々が集う国際経済都市・上海。
その熱気、街の人々の息遣いさえ聞こえてくるような描写に、ぐいぐい引き込まれました。
 一方では、田園の風景描写も、息をのむほどきれい。
筆者が、「ヴェニスのようだ」と形容する蘇州、揚子江の描写などが、特に印象的。

 …と同時に、筆者が長年抱き、ほとんど美化してきた「中国に対するイメージ」が、
ことごとく壊されていく所も、ユーモラスに描かれていました(笑)
 たとえば、田舎地方の「風光明媚」に心洗われるひと時、
美しい湖に「立ち小便」をするオジサンを発見したり、
芝居を見た後で舞台裏の楽屋を訪問した時、
美しい顔立ちをした役者の青年が、「横を向くが早いが、
深紅に銀糸の繍をした、美しい袖を翻して、見事に床の上へ手洟をかんだ」
(本文36ページ)り…(笑)。
 なかなか衝撃的な光景を見つつも、芥川氏はやっぱり上海が好き。
 お店で食事をしている時、ついつい上海美人のお嬢さんに目が向いてしまったり(笑)。
 上海の人間を観察するのが大好き。その温かい愛情が伝わってきます。
 中でも、いくつか面白かったエピソードを紹介してみます♪

ハングリー精神全開!!働く人々。
 本文13ページ、馬車の御者と村田君(筆者の友人)の口論シーン。
馬車を降りて、村田君は何文か銭をやるものの、御者はそれでは不足だと見えて文句を言い始め、
激しい口げんかになってしまう。が、結局、村田君は知らん顔で無視。
「その時もう一度振り返ってみると、御者はもう何事もなかったように、
恬然と御者台に座っている。その位なら、あんなに騒がなければ好いのに。」

…こういう風に、商売が上手くいかなくてもきっぱり諦め、また次のお客に向かって
全速ダッシュする所、中国の働く人々のエネルギッシュさを上手く表している気がします。


小鳥屋さん
 茶館の天井にぶらさがる鳥かごと、小鳥たちの声のエピソード。(本文28ページ)
 星野博美さんのエッセイ『転がる香港に苔は生えない』にも、香港の町と小鳥のさえずりの
深い関係を描いた一節があった。中国の人は小鳥好きなのかな?


芝居
 「支那の芝居の第二の特色は、極端に道具を使わない事である。
 …しかしこれは日本人だと、能という物を知っているから、
すぐにそのコツを呑み込んでしまう。」 
(本文32~33ページ)

 …なるほどね。私は能を見たことがないので何とも言えないけれど、
落語家さんが扇子を箸に見立てて蕎麦を食べるフリをしたりする、
あの演技力はすごいもんなぁ。それと似たようなものかしら。


章太炎先生
 袁世凱を悩ませた政治家だという、章太炎先生へのインタビューから。(本文38ページ)
「現代の支那は、政治的には堕落している。
…しかし支那の国民は、元来極端に走ることをしない。
この特性が存する限り、支那の赤化は不可能である。」

 
 ウーム。21世紀の我々から見てもこの辺の政治論は興味深い。。。


サバイバル・チャイニーズ
 「勿論不要(プヤオ)とか「等一等(タンイタン)」とか、車屋相手の熟語以外は、
一言も支那語を知らない私に議論謎のわかる理由はない。」
(本文38ページ)

 初めて覚えた言葉が「不要(プヤオ)」っていうのはね…(笑)。
 いかに芥川氏が熱心すぎる物売りの人たちにつきまとわれていたかが想像できる。


日本人
 どんなに上海が好きでも、やっぱり故郷は特別!
 ほんの小さなしおれた桜を見ただけで狂喜する、中国在住の日本人のエピソード。
(本文61ページ)
 やっぱり、“There is no place like home.”(我が家に勝る所なし)なのね。ほのぼの。




 ・・・いろいろ書いてみて、ここまでは「フムフム」と相槌を打てるエピソードばかりなのですが、
一つだけ、「え~~!!うっそぉ~~!?」と叫んでしまった部分がありました。
それが、こちら。


交通整理の行き届いた街!

 「アスファルトの大道には、西洋人や支那人が気忙しそうに歩いている。
が、その世界的な群集は、赤いタバアンをまきつけた印度人の巡査が
合図をすると、ちゃんと馬車の路を譲ってくれる。
交通整理の生き届いている事は、いくらひいき目に見た所が、
到底東京や大阪の都会の及ぶところじゃない。」
(本文13ページ)

 私が上海へ行った時、「信号が赤でも車の右折はOK」のこの街では、
横断歩道を渡っている時に普通に車が猛スピードで突っ込んできました。
怖かったよ~(>_<)
赤いタバアンをまきつけたインド人の巡査さん。21世紀の上海でも交通整理して下さい!(笑)
2008.01.21 Mon l エッセイ l COM(0) TB(0) l top ▲
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 「アンティッ!」「アンティッ!」
 ちょっとせつなくなるほど、瞳を生き生きさせている子どもたち。
帽子をかぶせてもらう。たったそれだけのことに、こんなにも飢えているのだ。
後で聞いてみると、アンティとは、帽子のことではなく、「慈悲」に近い意味の言葉だった。
 自分で歩けるぐらいの子どもたちとも、外で遊んだ。
ひょっとだっこをしてあげると、ぴたーっとしがみついてくる。
帽子と違って、次々と、というのがむずかしかった。
なぜなら、抱きあげた子どもが、なかなか下りてくれないのだ。
「さっ、おしまい」と地面に戻してやろうとすると、木にしがみつく蝉のように
必死で手足をからめてくる。

   抱きやれば 爪立てるほどしがみつく 孤児の感触 重く残れり

 愛情の絶対量が足りない、ということを痛く感じつつ、いっぽうで、
彼らは確かに愛されているんだな、とも思った。そうでなかったら、
こんなに素直に無防備に、人の腕の中にいたいと思わないだろう。
シスターやボランティアの人たちの、日頃からの子供への接し方が、
たとえ時間は短くとも、愛情に溢れたものなのだろう。

                    ~俵 万智 『ある日、カルカッタ』より~




 歌人の俵万智さんが、カルカッタのマザー・テレサの施設を訪れた時の手記です。
 子供達の屈託のない素直さ、人懐こい笑顔が目に浮かんでくるようで、
なぜだかまぶしくなりました。

 Love makes you alive.
 愛が、あなたを生かしてくれる。
 今あなたが生きているということは、誰かに確かに愛されているという証拠…。

 愛を紡ぎ、与えられる人になりたいです。

2008.01.19 Sat l エッセイ l COM(0) TB(0) l top ▲